昔から物事や思いの波が大きくて、大きな喜びや大きな成功の後に、大きな痛みや大きな悲劇が来た。
子供の頃から人一倍頑張ってきた方ではあるし、不遇や素質も考慮して、後悔のないように歩んできた。
基本的自信を得るのも心理学の勉強と大量の紙を使った実践からだし、こまめな文化吸収や旅や場に飛び込む事など自分を満足させる行動や、仕事や表現活動やサポート活動など社会的に認められる価値提供も重ねて、心も頭も納得するラインをひたすら求めて走ってきた。
不思議なことに初めから両極を肯定していた。素朴で地味で優しくて普通である事は大事だと思うし、凄くて派手なことの高揚感と毒も気持ちいい。両面の自己と生活。
なぜか降りようとする度、普通の幸せに落ち着こうとする度に、事故や運命の悪戯のような、ありえない出来事が起きて、反対側に引っ張り上げられる。
地元と引越し、ヒッピーと毒家、美術系とブラック企業、BARと解散、何度も勇気出して飛び込んで交流を積み重ねて学んで喜んでもらえるよう頑張って、やっと居場所を得たと思う途端、何かが起こり、貴方は違うからと疎外される何度もの絶望。
そっち側には入れてもらえない。こっち側は物足りない。
一人で生きる事をしっかり受け入れられたのも、そういう波を幾たびも経たことによりバランスを体得したからだと思う。誰にも期待せず、自足して生きる。居場所は座るスペースだけでいい。そうして本当に一人で充足して、精神的にも安定と余裕を得て過ごしていた。そしてひょんなことからコミュニティ作りに手をつけていた。
今年、自分がコミュニティを立ち上げ、呼びかけや表現の応援をしてきたら、思いの外たくさんの優しさや面白さや肯定を受け取った。あれだけ渇望していた、話が通じる仲間やカジュアルな楽しさや、自力の発揮や、それ以上の広がる世界。こっち側にそっち側が来た。
この先どうなるかわからない。また地獄のように辛い時もあるかもしれないし、慣れて鈍くなる時もあるかもしれないけれど、私はこのラインを歩んでいく。妥協する事もなく、勘違いする事もなく、どっちも自分の面でありながら、どっちも体現していくのだと思った。
とりあえず今日もそのラインを生きてきた。
Image by Pixabay
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