器と人間力

仕事やプライベートで様々なカテゴリの人と会うのだけれど、いわゆる「経験・人間力」の差が如実に出るのが30歳位からだと感じる。

もちろん、個々人の資質、環境、人や物事の巡り合わせなど、経験のベースも人格形成のベースも、なかなか本人の意思では選べない。しかし、心理的呪縛や物理的行動制限があっても「自分の考察と行動」をするしかないので、ざっくり言って学校卒業後10年間は伸び盛りの時期だと考えている。


色々な人に会ってきた。地域創生する人、芸能人になる人、会社を起こす人、医療に従事する人、海外でアート活動する人。

中学を出て、理不尽なシゴキに打ちひしがれながら、なんとか生計を立てつつ様々な出会いや失敗を経て、地元の仲間も派手な成功も得て、20代中盤には受容力と現実的スキルと人情味のある大黒柱になる人もいる。

束縛と抑圧の激しい家庭で神経症気味に育ち、大学卒業後ハードワークでボロボロになるも、勇気を出して様々な挑戦や遊びを経て引き出しを増やし、面白く慈愛溢れた人間になって人生を楽しむ人もいる。

生まれつきの体質や努力では変えられない設定から差別を受け、社会の片隅で何とか生き残りながら様々な物事を見て、それを作品にしたりマイノリティの居場所作りをして、愛されている人もいる。


優等生、ひきこもり、家、虐待、好きなこと、スランプ、才能、差別、勉強と研究、裏切り、出会い、事件、感動、不遇、挑戦と失敗、恋愛、傷心、下積みの地獄、努力を続けること、上に立つ者の重圧、采配と達成、残酷な巡り合わせ、仲間やファミリーを持つこと、社会的課題、身近で味わうこと、etc..様々な設定や考察と行動がその人を紡ぎあげていく。人はそれぞれ、十人十色でいい。


それでも最近どうしても、「器と人間力」の明らかな差が目について、それは職種や年代や生活環境に限らず、明らかな線引きを感じているので本稿を書くことにした。


あえて言うと器が小さく人間力がない(レベルが低い)のは、「薄っぺらくて幼稚で心が貧しい」人達。

(深く広く真剣に)考えていない(浅はかさ、狭量さ)、(自分から、試行錯誤や努力、冒険や失敗ふくめ)行動していない(経験の少なさ、怠惰さ)、なのに不満や嘲笑や一元的な価値観を他人にぶつける傾向。

“ふつう”の環境と素質で育って価値観が旧来の基準やマスコミのいいなりなだけならまだいい。問題は、女性の容姿や年齢を嘲笑したり、会社名や経済力で他人を計ることを公言して憚らない、勉強も努力もしていないのに成功や結果を欲しがる、上辺しか見ず縁の下の力のありがたみを理解しない、自分たちの狭量な価値観以外の人や物事を変だとバカにする、消費や他人の噂ばかりで思いやりがない、自分の不満や愉悦の為に他人に恥をかかせたり酷い陥れを諮る、違うことを理由に疎外や加害をする、自分から踏み出す決心も行動もしていないのに他人の気持ちに期待するだけ、環境や繊細さ不器用さなどの素質を言い訳にして他人に依存しようとする、etc..

自分の器が小さく人間力が低いだけならいい、善人面や被害者面して他人を喰いものにしたり、心ある人を害することが多いのが嫌なのだ。ゆえに器が小さく人間力がない人達とは、最小限の用事以外では関わらない、ある程度の線引きは必要と考える。


一方で、器が大きく人間力のあるのは、「深くて大人で心が豊か」な人達。様々な環境や課題、考察や行動で“経験”している。

悲しみや苦しみを味わい、悩み考え、人一倍の努力や学びで現実を生き、環境や社会構造など自力ではどうしようもないことも受け、何とか喜びや好きなことを見つけ、様々な人間と文化に出会い見識を広げ、多様性を認め、小さなことも大事にし、世界の壮大さや人生の渋みと色合いを知って、器がその分大きくなり、豊かな人間力となる。

それは、業界である程度のレベル以上の人達との血の通った打ち合わせや、アートや音楽など文化活動を続けている人たちの場や、素朴で派手なことがなくても毎日を大切に生きている心ある人のちょっとした気配りや、フィクションでもなかなかない波乱万丈な人の非凡なライフスタイルの一片や、一杯のコーヒーの間の会話などに現れる。だから私はそういう人達を良いなと思い、リスペクトし、一時でも関われることをありがたく思う。


ある程度の器ができるまでは、素質やエネルギーがアンバランスだったり、現実への関わり方や各種方法をマスターしていなかったり、環境や設定によるネガティブなストックに苦しんだり、その反動で極端になったりと、不安定で変わった人扱いされることも多いだろう。それでも10年くらい、自分で考えて考え抜いて、ひたすら行動して、努力して戦って、学んで試行錯誤して、色々な人や物事に出会って、様々な感情や感動を消化して、知見やスキルを得て、何とか人間らしく生きていけるラインを掴む。だから大体、30代中頃からはその人自身の総合力や生き様は自己責任だと考えている。

繰り返しになるが、個人差はある。様々な環境設定により、試行錯誤の10年が50代以降からという人もいるだろう。それでも大半は20代からは自分なりの思考と行動の余地があったであろう。30代や40代、50代や60代になっても幼稚園児のように甘え現実的努力も重ねず不満だけ垂れ流したり、これだけ情報化社会になっても狭量な価値観で他人を嘲笑しているのを見ると、レベルが低いと諦めに近い心境になるのだ。


器と人間力、これは一生、自力で育てるべきものだと思う。

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