近年、「価値観の違い」を実感することが多かったので、改めて私の考えを書いておく。
価値観はその人固有の考えだけではなく、「環境による普通」を無意識に学んで醸成されているので仕方ない面も多いと思う。
「価値観が違う」と互いを認め合うことが大事だと私は考えているが、「自分の価値観と違う人は許さない」人もいて、そういう場合は距離を置く。
例えば結婚について。
私が小さかった頃、女性の多数派が25歳までに結婚し専業主婦になるのが普通だった。
(25歳を過ぎた女性を売れ残りのクリスマスケーキと例える下品な表現もあった)
女性が歳を重ねてからも就ける仕事は限られていて、男性の扶養に入るのは生存戦略として合っていた。
看護師、美容師、教師、スチュワーデス(CA)等の専門職以外は、腰掛けOL(事務、庶務)や販売員、農家や商店の自営業がなければ、やりがいのある仕事は少なかったように思う。(一握りのクリエイターはのぞく)
しかし今は、多様な生き方が当たり前になってきているし、不況や経済的理由はあれど結婚後も働く人の方が多数派だ。
そこに「昔の価値観」で保たれている制度や権力者や諸々があると「ズレ」が生じる。
同世代の友人のワーキングママからは、PTAや子どもの通院付き添いと仕事の調整で大変な思いをしているし、家事育児丸投げで生活費折半のパートナーにモヤモヤしている話を聞く。
互いに子どもがいるシングルのカップルは、色々考えて再婚しないでパートナーとして付き合っているが、親族に再婚を求められて困っていると言う。
LGBTQIAの友人達も親族にはクローズしている話を聞く。
独身やディンクスを馬鹿にして嘲笑う人もいまだにいるが、それは「個々人が選んだ生き方」である。
もはや結婚が経済的生存戦略でもなければ、
日本では少子化と問題視されるが地球では人口増大が問題(私一代の間でも、50億人〜80億人となり、倍増の所感)による食糧難や資源減少等が問題になっているので、希望者以外は子どもを作らないのは「自然」だと思う。
価値観が違うことはあるが、「人を馬鹿にして良い気になろうとする価値観」は好きではない。
また、最近SNSで「男尊女卑」が話題となり、多数の被害経験の声が上がり、やはりいまだにこの価値観は根深いのだと実感した。
男性が大黒柱であるのが普通であった時代、女性の意見を聞かない、女性を下に見て雑用だけやらせる、ルックス批評を大っぴらにする、などは多々あったことだろう。
男女雇用機会均等法以後も、ガラスの天井や、女性の手柄を男性名で出すなど手柄横取りや足引っ張りや、セクハラやマタハラ等に形態を変えて、「男尊女卑の価値観」は薄く残っている。
私自身は、これまでクリエイティブ業界で企画・ディレクションの仕事をしてきたため、職務上、良い考えや意見は認められるし、多数の歳上男性スタッフが私の指示を聞くのが当たり前だったので、あまり男尊女卑の被害は受けてこなかったと思う。
令和の新人さん達は男女問わず総合職の仕事の機会を得られ、意見も出せて、互いに尊重している。
時代と共に皆の努力と意識で少しずつ改善、「価値観の変化・進化」をしているのだ。
「XXは皆OOだ」と決めつける価値観。
例えば私は女だけれど、素直にガンダムや恐竜好きな一方で少女漫画苦手(恵まれた環境の中だからこそ、かすり傷程度のことで悲劇ぶったりするのをドラマ化する面が、現実的重傷の身からすると合わない)なので、女でガンダム好きなんてイケメンキャラをBL目線で見てるだけでしょとか、セーラームーンや矢沢あいは女子は皆好きでしょとか、決めつけられてうんざりしている。
広告業界を陰謀論の伏魔殿的に言う人達もいて、クライアント企業が懸命に作った商品サービスの良さをクリエイティブに伝えて生活者とつなぐ仕事を悪く言われると、仕事仲間を侮辱されたようで気分が悪い。
資本主義の価値観は確かに弊害もあるけれど、多数の人が生活するシステムとしてはアリなのだから、特定の業種を叩いかない方がよいと思う。
正義感で自分を騙して、実際はストレス発散の八つ当たりによる脳内快楽物質がクセになっている人は気をつけた方が良いと思う。
「XXは皆OOだ」と決めつけて、それ以外の可能性を考えることをサボって脳の稼働量を節約してもいいが、多様な見方をする意図は持った方が発想の自由が増える。
古い価値観や偏った価値観に苦しんでいる人は、もうとらわれなくていい。
自分の人生の舵取りは、自分の価値観でしていいよ。
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