人が一心に何かを作る空間には、ある種の“匂い”があると思う。画材の匂い、紙の匂いというだけでなく、その空気そのものを“作ることの気迫と充実の匂い”と認識している。
美術予備校に通っていた頃、大きなパネルとガッシュの絵の具箱を抱えて電車にのる私は、さながら戦場に向かうように勇み立っていた。デッサンは1枚1枚修行のようなものだと認識していたし、色彩構成は毎回自分を試される試合だった。シンプルなアトリエでイーゼルやテーブルを出して、それぞれが紙に向かう。真剣で充実した空気。好き勝手な“自己表現”ではなく、手癖や認識の壁をとり、何を描こうとしているのか意識しながら紙の上で具現化していく訓練。1本の線にも真剣、1枚の絵を責任をもって価値あるものに仕上げるというプロ意識を講師達から学んだ。
「個性バンザイ、アートは自由、誰だって芸術家」という言葉や概念は、本質的にはその通りだと思うけれど、モノづくりのキャッチコピーとしてそれらを冠した瞬間、浅はかな言い訳に聞こえてしまう。素直にありのままに表現されたものは、それぞれの良さがある、それは当然なのだけれど、“表現することそのものに本気・夢中”なのではなく、自己陶酔や個性アピールのためのアートごっこや、ただのフラストレーションの排泄は、上滑りしたような浅薄さや、灰汁が強いだけのものに感じる。逆にどんな作風でも、本気で作られたものには、好き嫌いを超えた“何か”を感じる。
一心に絵を仕上げる訓練は、本気でその表現に立ち向かっているかを見る目になったのだと思う。
子供の頃に見たガラクタだらけの不思議な家、美大の校舎、旅先の喫茶店、ところどころにあの“匂い”はした。仕事生活がひと段落した頃、またその“匂い”がする場所を見つけた。それはアートワークショップのアトリエで、浅薄なアートごっこが散見されがちな分野の中で、ずば抜けて“本気の匂い”がした。1枚1枚の情景写真に、一心に表現をする人達や作品が映っていた。決して作品作りが目的ではないのだけれど、心と共に作られたものは“表現物の力”を感じさせるのだ。そこのワークショップに参加したとき、そのアトリエは“匂い”に満ちていて、本来の自分に戻れるような安心感があった。素直に本気で作ればいいのだ。そんな根本的な心の基盤を再認識させてくれる場だった。そこで出会った人々はみな感受性が強いためか、優しく素朴で魅力的だった。数日間一緒に表現をするうち、心からの友人のようになる。大人になってから、作る場を通じてそういう交流ができることを本当にうれしく思う。
私は一人で部屋で絵を描いている。イメージが湧いてからそれを精製して、実際に紙に絵の具を乗せる決めどころが見えてからの手は早い。本気で戦いながらも自由に泳ぐような充実の時間だ。その時は机と画材と紙と自分が、あの“匂い”を発しているのが体感できる。
アトリエとは、本気の創作の場に満ちた“匂い”のことなのだ。
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