提案やクリエイティビティの無い意見は極力出さないようにしてきたけれど、昨今のSNS等の偏りを見て、やはり出すべきだと思い、ここに記す。
「(~~という問題について語り)だから日本はダメだ、悪いのは政府与党、大企業が…」というパターン、根強い洗脳だ。
戦後、日本を弱体化する為、「日本が悪い、日本は情けない、上の世代が悪い」等、自虐史観だけでなく、矛先のすり替え等で、本来の価値や誇りを否定する教育・メディアからの情報発信・そういう意見を言う人間を優遇する仕組みがある。メディア側には左寄りの人間が多数就職する時期があって、反体制が正義、という歪んだ指針が未だに業界に残っている。
そこに感化された意識高い系クリエイターも、すべての問題の「仮想敵」を言って論を紡ぐのを見て嘆息する。
課題ごとに、特定の企業が良くなかったり、特定の価値観が新しい家庭像の邪魔になっていたり、不勉強ゆえの無理解等はある。そういうものを毎回、個々人が考え、意見を持ち行動選択することが重要であり基本だ。
しかし、「仮想敵ありきのパターン思想」の洗脳状態になると、特定の事象や製品やイベントについても「日本や大企業や政府が悪い、ダメだ」、働く女性の苦労や多文化との摩擦についても「大人がダメだ、日本は恥ずかしい国、差別へのリターンとして補助金クレ」等、ひとくくりにしてしまう構文をよく見る。
そのパターンの度に、嫌な感じ、ヒステリックな感じがして、その違和感を探るうちに解った。
「抱えた怒りや不満や不安の出口として仮想敵を他者に設定(洗脳)されることで、その仮想敵が悪いから自分は報われない、辛い、と怒り発散できるためスッキリする。スッキリするから良い事をしている気になるし、周りの同士もそれを認めてくれるから、自己肯定感も満たされ、居場所もでき、そのパターンがアイデンティティになる」と私は認識した。
この構造は、イデオロギーだけでなく、カルト的宗教やスピ系、陰謀論や過激なMLMや地下コミュニティも同様の仕組みだと思う。
例えばスピ系コミュニティには発達障害(自分で紹介している)が多い傾向があるが、それはインディゴチルドレンとかスターシードという設定で、コンプレックスや不満のある層抱き込み「一般社会で認められづらい特性を認め、それに価値があると言い居場所を与える」ことで荒唐無稽(形而上学や精神敵文化や不可思議は私も認めていますが、ココでは商売目的や支配欲等で搾取するスピ系ビジネス及び集団を差します)な思想で囲い込み、金銭やエネルギーを搾取している。
自分で考えることや決めることが苦痛という性質の人達もいて、自由意志や自己責任より、他者に○○が良い(=その反対の○○が仮想敵)と言ってもらい従う方が合う人たちもいて、昔の日本は神道や地縁等で緩くやっていたが、現代ではそれはネットの論説やコミュニティにとって代わっただけかもしれない。
また、弱者とされる立場や性質を持った人達の居場所に上記のクラスタがなってきたことも功罪だ。
ただ、たちが悪いのがインテリや承認欲求モンスターがこれらのパターンを「語る」ことでキャラ付けや評価を得ようと繰り返す場合だ。なまじ面白い価値も出せる分、その帰結がこのパターンだと若い世代などが引っ張られやすい。本人たちもそのパターンの中で考察がから回っていることを認めない。
他人に迷惑が掛からず、当人が満足していればどんな思想も信仰も自由だが、えてして「仮想敵を作るパターン思想」は周りを攻撃したり、お金や仕事に響いたりと周りに迷惑をかけるのだ。
たからどうしても言いたい。「○○が悪い」というパターンで正義気取りや思考停止をしない方が良いと私は思う。
「世の中が悪くなっている」というパターンも同様だ。自然環境に関しては昔の方が豊かだと私も思う。しかし社会に関しては、たった100年くらい前には女性には参政権もなく、高等教育も受けられず、意思決定する立場の仕事もなかった。仕事等で女性やアジア人の活躍を嫌がる弱い男性陣や欧米諸国に長年足を引っ張られてきたが、それでも思考や行動を続けた先人や、私の様に個人で考え価値を自主的に作り自由意志を大切にする人間にとっては生き辛い時代だったろう。
科学の進歩も公害や様々な害もあるが、それ以上に益があるから進歩した。子どもが多数亡くなる時代の哀しみ、食料を安定供給できる今の恵み、飲める水が届く社会システムを作った先人達、海外からの支配に対し国を守ろうとした先人達の思い、それらを無視し貶める「仮想的として、日本や体制や先人を否定するパターン」に私は異議を唱えていく。そして現実的に仕事やプライベートで良きと自分が考えることをやっていく。
大抵、仮想敵を攻撃的に語る人達は、数十年程度の視野で比較して論じて嘆いて正義面している。100年、1000年、1万年と視野を広げれば、現代の良い面も課題も、もっと見えてくるはずだ。
世の中で何かがトピックになるたび、パンデミックでも大型イベントでも災害でも「○○が悪い、○○のせい」という人たちの論説はうのみにせず、ニュートラルに観て自ら考え、現実的行動をすることが大切だと言いたい。
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