ラッセンに向き合うこと

「超ラッセン原画展」へ行った。約四半世紀振りのラッセン鑑賞だ。文化系の中ではアンタッチャブルともいえる、かのラッセンだ。
なぜ今私がラッセンを観に行くか。それは最近の自分の創作の中で常にシャドウだった“ラッセン的なもの“に向き合う覚悟を決めたのだ。明日頑張ることにして仕事を早めに切り上げ、私は宵待の新宿へ向かった。

私が子供の頃、世はバブル時代。ウォーホルなどのポップアート勢や、ゴッホなどの名画勢に加え、日本に第三勢力のアート勢が侵攻した。ラッセンを筆頭とするインテリアアート勢だ。
その頃のネガティブなことはネット上にも逸話があるし、批評本もあるので割愛する。
3歳で名もなき絵描きの水彩画に感化され、模写して、自分は絵描きだと自覚し、幼稚園の美術館遠足でターナーに惚れた私は、沢山の絵描きを見てきた。そしてブームだったラッセンの絵を見て、素直に綺麗だな、と思った。

割と早めに厨二病を患い、かたや本格的な美術修行を始め、本や音楽や心理学など雑食を重ね、メインカルチャー圏でのラッセンタブーを10代で知った時は、通好み・渋好みになっていたこともあり、全くラッセンに触れず約四半世紀を過ごした。

色々あり、広告業界で企画コンペを勝ち取ることや大きな仕事で達成感得る一方、「自分の絵」が描けない時期も長く、やっと絵を素直に描き始めた30代。評価尽くしの殻を脱ぎ捨て、作るものは極彩色で、ファインアート軸や現代アート界でも評価されないもの。それでも作りたいものを作っていたら、ふと、シャドウを自覚した。

私の作品は派手でわかりやすくて、ファンタジックでキラキラしてて、ラッセン的じゃないか?と。やばいと思った。自分の好きな文化圏と、自分が生み出す世界観が違い、旧来の友人にも驚かれた。私をよく知らない人達は褒めてくれた。最近、オープンに自分の作品を世に出す上で、ますますコンテクストにキリキリした。

売れたもん勝ち、どんな手を使っても世に作品を出さなきゃ始まらない。広告で学んだこともある。かつての画家達も貴族や国というパトロンとの付き合いや戦略で生き残ってきたのだ。とか考え続け、自分の仕事は世に出るのに、自分の絵は身内しか見てくれない己の不甲斐なさと葛藤していた。そこで、ラッセン展を見つけたのだ。攻めるしかない。

いざ、ラッセン展だ。受付で年代や仕事を書き、パスを首からかけ、ハワイアンミュージックのかかる戦場に突入。
原画の筆遣いや画面構成などをメモしていると、イケメンが声をかけてきた。
エウリアンだ。

私が絵を描くと聞き、会場を巡りながら色々トークし(私は男子校みたいな環境に長くいたので、イケメンにも営業にも慣れていて適当に流していた)最後におずおずと若いエウリアンは訊いてきた。
「ラッセンは、画家にとってどんなアーティストですか?」
「プロです」

自分の言葉に納得した。おそらく美術に明るくないエウリアンに、お客様がいない空間をみはからい、オブラートに包みネガティブにならぬよう端的に背景を伝え、その上でラッセンの作品の価値を伝えた。

近くの専門学校生らしき人達が、ありきたりなスノッブ効かせて会場を冷やかしているのを見て、「意地悪なアート界隈のお客様も来ると思いますが、頑張ってください!」とエウリアンに言い、私はマリンアート界から離脱した。
(鑑賞は無料、WEB事前予約をしてLOVEというタイトルの画集とクリアファイルとポストカード頂いた)

他にも色々な発見があり、現実的に勉強しつつ、楽になった。作りたいもの作って、世に喧嘩売るだけだ。
プライド、周りの声、諸々を脱ぎ捨て、描きたいように描き、世にぶつけて行くことを、屁理屈や悪意で人の足を引っ張るノイズを無視して行くことを、ラッセン展を観て改めて心に決めた。


Image by Pixabay

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