自力でサバイバルすること



故郷も地元も離れ、仕事に全てをかけて生きていた時期や、BARでお祭騒ぎや青春みたいな冒険をした時期もある。アトリエの時期や、心理学と向き合った時期など色々。
30代で、クリエイティブワークでやりたい事がひと段落した一方、業界内でもハードな激務とストレスで身体を壊しかけて仕事を辞め、一人暮らし、近くに友達もパートナーもおらず家族とは疎遠。孤独に都会で山ごもりの修行のように、毎日、文化鑑賞や散歩や生活、創作をひたすらがんばっていた。必要な時期だったと思う。精神崩壊や生活破綻して転落してもおかしくない状況だった。不安や焦りや寂しさの波で落ちそうになる度に、勉強や経験や実験から得た知恵や気合いで、己に向き合い、解放や吸収をしたり、考察を進めたり、行動をするなど、自らのバランスを取り、サバイバルしていた。

良く言えばドラマチックな人生ではあるが、必死に頑張ってきた割に実りはそれ程でもなく、経験と言い聞かせるには痛みが多すぎる。絶望しかけるたびに、文化・作品・考察に意図的に没入して、なんとかバランスを取り戻していた。自己を取り戻し、美しい瞬間を紡ぎ、いい思い出も作品もできた。
蓄えが減り、そろそろ潮時かなと気が済んだので、ダウンシフトして働き始めた。普通の生活だ。仕事し、家事をし、一人で文化鑑賞や創作をマイペースにする自足の日々。
過去に築いた様々なことは尽く消えて人間関係は乏しく、このまま自らも人生も衰えていくのかなと思ったタイミングで、文化的つながりと地元つながりがコネクトした。なぜかこちらに創作や地元つながりの人達が入ってきた。もう一度絆を取り戻せる気がした。

エネルギーが大きすぎるからこそ、感情も物事もアップダウンが激しくて、このまま落ち着く事は無いのかと悲観していたのだけれど、経験と考察と諸々をコンプリートできたのか、30代中頃でやっとバランスが取れて、ゆるやかな素の安定感を得た。
たぶん私はこれから素直にハッピーな道を歩んでいくのだろう。

9歳のときに、学級崩壊していて、機能不全家族だった私は家でも学校でも外でも神経が休まらず、拒食症になった。
それを家族は「悪い子がわがままを言っている」と理解を示さなかった。
そこで私は「このままだと死んでしまう。これは心身症というものだろう。家族は人間としておかしい、自分で何とかする」と自ら考え、野菜や牛乳でスープを作って、固形物を受け付けない自分の身体に栄養補給をし続けた。自力で何とかサバイバルした。学年が変わり、環境が変わって拒食症は治った。
私は心が痛んで素の自分が弱っても、自分の頭で考えて現実的な行動をし、自分を生かすことを選んだのだ。

その後もマグマのような時期や、フィクションのような悲劇が度重なり苦しい時期は何度もあったけれど、いつも自分で考えて自分で行動することで自分を救ってきた。その知恵や感覚が今は少し、人のためにシェアできていると思う。
でも、自分を生かすことは自分の責任だ。
だから依存的に甘えてくる怠惰な人、他人のせいにして自助努力や行動やチャレンジをしていない人には別にシェアしなくていいと思う。そして、自力で何とか生きていて、自分で自分を幸せにする心意気のある人たちと仲良くしていきたいと思う。



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不思議と夢の話~夜の魚~

心理学、精神世界、日常の中の不思議なこと。 わかり合える仲間や、どこかでひっそりと自分の感覚や内宇宙を考えている人へ向けて。 WEB↓ http://atelier-clos.jimdofree.com