あなたという物語

ひとりの「人間という世界」には、どれだけのエネルギーと物語があるのだろう。

時々、驚くほど密度が濃くて様々な側面を持った、スケールの大きな人間に出会う。

その度に、人生という総合芸術は凄いものだと思う。もちろん、平凡で特に好きなものも無く本気で頑張ることも無いという人間が、淡々と生きること自体も価値あるものだとわかっている。比べるものではないということも。それでも、様々な側面の凄い世界で出来た「人間」に出会うと痺れるのだ。


日本トップクラスの実力と、人間ならではの闇と、頑張ってきたからこその魅力、そして普通さや未知の何かを持ち合わせた人間達。音楽と心の病と旅、地元つながりと趣味の世界と激しい姿勢、家庭と世界中の知恵の実践と場づくり、他いろいろな凄いパターンの人間を見た。最近も、一つの分野の戦いと創作を両立させている人間を見た。


多分、私が自分のことを“側面ごと”に話したなら、話が通じることもあるし、凄いと言われることもある。だけど全てを話したら、他人は受け止めきれないだろうと思う。

自分を理解し自分を受け入れる、というのは心理学のド基本。自主的にそれをやり、割とニュートラルに生きられるようになって、ほとんど過去の自分のパターンに囚われなくなったのだが、先日ふと改めて自分の人生をおさらいしてみたら、我ながら凄まじかった。


心理的な課題という側面を一連の物語として語ったならば、幼少期の傷から青年期の暴走までエピソードと痛みが満載、呪縛と解放は心理学の教科書通りというか、文芸や神話のパターン通りというか、病みブログ(笑)1本立ち上げたり、オリジナルセラピー(笑)の提供ができそうなほどのヒストリーと学びがある。

それだけ見せれば、私はサバイバーであり、不幸な人間の再生物語だろう。でも私はそれだけの人間ではない。


仕事奮闘の側面を一連の物語として語ったならば、創作が好きな一人の女が努力でステップアップし、ブラックな業界でハードワークと修羅場を繰り返し、課題解決し、大きな仕事をいくつも実現。本気で現場で戦うということと、そしてその先は自分の表現を発揮する決意をするまでの戦記のようなパワフルなストーリーとなる。なんならオンラインサロン(笑)や自己啓発本(笑)にできるような。

それだけ見せれば、私は仕事で自己実現した凄い人であり、業界仕事物語だろう。でもそれだけが私の人生ではない。


Barや文化の側面を一連の物語として語ったならば、人間の悲しみや痛みが愛と彩りに結びつき、数々の魅力的な人間との出会いと別れ、カオスとカーニバル、最低と最高、孤独と人生を受け入れる大人への変化など、人間の微笑と涙の体現となる。アートシネマ(笑)やサブカルマンガ(笑)に描けるような。

それだけ見せれば、私はドラマチックな面白い人間であり、人間賛歌の物語だろう。でも私の心はそれだけではない。


他にも、素朴な日常の物語、ロスジェネの群像の物語、歴史的で不思議な物語など、側面ごとに物語を語れば、私は様々な人間に見えることだろう。


そんな人間を受け入れるのは自分自身であり、それが自信ということなら、自信をもって生きられるようになったのは30代中頃からだ。自信をもてば、他者の様々な面をニュートラルに見ることもできる。そうなるほど、ひとりの人間の世界には凄い物語があることが見えてくる。


素直に真摯に全力で生きている人。

あなたの物語を私に見せてくれたら、きっと私は感動する。

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不思議と夢の話~夜の魚~

心理学、精神世界、日常の中の不思議なこと。 わかり合える仲間や、どこかでひっそりと自分の感覚や内宇宙を考えている人へ向けて。 WEB↓ http://atelier-clos.jimdofree.com