私が通っていた幼稚園は孔雀を飼っていて、その檻には、子供たちが自由に入ることができた。孔雀が羽を広げていると誰かが呼びに来て、みんなでその美しい光景を見たものだ。あの青緑の羽の色、とても不思議な模様。私は今でもあの青緑色が強烈に目に焼きついていて、それは大切な色となっている。
その幼稚園にはヒッピーのような思想があって、子供たちを信頼してくれていたのだと今になってわかる。子供たちだけで、うさぎの世話などもしていたし、木製の遊具や自然物やシンプルな玩具で様々な遊びを作り出していたのを覚えている。何事も自由意志を尊重されていた。
園内に竹林があって、タケノコが生えてきたらそれを焼いて食べたり、青竹が育ってきたらそれを切って、みんなでヤスリをかけて、先生がイカダにして、川に浮かべてそれに乗った。今だったら危険だとクレームが入ってしまうかもしれないが、自然と共に生きる、大事な生きた知恵の実践だったと思う。
何より、「自由を肯定する意識と信頼感」が私たちを守っていたのだと思う。信頼され自由を認められていたからか、人を虐めたり危険な悪ふざけをするような子供はいなかったし、子供同士助け合ってもいたのだろう。元々ヒッピーコミューンの土地だからか、近くにアーティストも多く住んでいたようで、オリジナルの虫かごを作ってもらったり、近くのロックバンドがライブに来てくれたり、園長先生は大きなバイクに乗っていたり、洒落たクラフトを作らせてくれたり、畑で取った作物をみんなで食べ、パーティをして何時間も自由にお話ししたり、私の絵を真剣に見てくれたりした。上野の美術館に行った時、先生方が注意しなくても、電車の中でも美術館でもみんな自発的に静かにしていたし、それぞれの見方で美術を鑑賞していたと思う。そこで私はロダンとターナーを知った。
生きることは文化と共にあるのだと学んだ。
当時私はよく熱を出していたが、息苦しい家にいるのは嫌いだったので、冷蔵庫におでこをつけて冷やして、熱がないフリして幼稚園に行っていた。それぐらい、居場所は幼稚園だった。文化的なこともそうだし、人を信頼しているその肯定感が、とても大事な心の土台になってくれたのだと思う。
大人になって不意に調べてみると、園の方針に「踏んでも蹴っても死なない子」という言葉があり、衝撃を受けた。何があっても私が何とか生きられるのは、あの自由と信頼、文化と自然の“大事なこと”を体得していたからだと改めて思う。生きることの“大事な何か”をちゃんと私は受け取っていたのだ。
人生で大切な事はすべて幼稚園のガーデンで習った。今も孔雀の羽を一本、部屋に飾っている。孔雀は毒虫を食べても、その毒すら自分の美しい羽の色に変えるという。その色を美しいと感じられる限り、私は大丈夫だ。
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