東京都現代美術館で開催中の『ユージーン・スタジオ 新しい海』という美術展(以下、ユージーン・スタジオ展)が、見事に賛否両論にわかれて話題になっていて、気になっていたけれど自分は行かないことにした理由等を書いてみる。
いわゆる、アートファン・美術館に通う人・美術関連の仕事をしている人達が軒並み、ユージーン・スタジオ展を異口同音に酷評しているのである。
大体整理すると、鑑賞に耐えられないほど表層的、既視感があり新しい試みや考えがない、インスタ映え狙い(写真を撮ると作品を鑑賞せずに去る)、チームラボ等と同じカテゴリ(大衆芸術やエンタテインメント領域)、ウラを感じる作為性(アーティストキャリアとしてどこで評価されているのか不明、スポンサー関連等)、見るに耐えなくて短時間で会場を出た、という意見だ。
そして、ハッシュタグでユージーンスタジオ(中黒無し)を検索すると、視覚的に洗練された作品のワンパターンな写真と、賛美が並ぶ。
そのコメントから見るに、アート作品への批評ではなく、アート“系”イベントへ行った自分の紹介文的なものか、現代アートとしてのコンテクスト抜きの“感動したと言えば正義”なコメントなので、先の人々がインスタ映え狙いと色眼鏡掛けたくなる気分も理解できる。
しかし、クロスメディアで広告企画とディレクションをしてきた自分としての視点から見れば、ユージーン・スタジオ展は“非常に良くできた仕事”である。
作家は若手で、リアルタイムの若い世代で発信志向のある人達をターゲットとし(撮影可能な作品が多い)、視覚的に今ウケるデザインを形にし(水色のグラデーションの平面、銀のサイコロ、白いドラムセット、水を張ったインスタレーション等、見た目だけなら私も素直に綺麗と思う)、期待感を抱かせるプロモーションで集客成功。旧態依然とした価値観に縛られず、平然と広告戦略的に実現したクールさは、プロジェクト含め、今やる価値はあると思う。
今回、アートに触れたことをきっかけに、アートに興味を持つ若い世代が増えれば、豊かなことだろう。(学生的、という批評も多かったが、一見白いキャンバスは人々がキスしたものという説明で見え方・感じ方・考え方が変わるようなわかりやすい経験は、コンセプチュアルアートに若い世代が興味を持つ入り口として良いと思う。最初からハイコンテクストな現代アートを咀嚼しろというのもハードだ)
そうして前向きに公式サイトの作品を見ていた所、とある作品を見て、先の人々の“既視感”“見るに耐えなくて短時間で出る”体験をオンライン上でしてしまった。
それは私が学生時代に初開催の横浜トリエンナーレで見た作品とよく似たインスタレーションで、手法が共通でも何を表現するか次第なのだが、その主題が10代が考えた“アートっぽいもの”まんまのキャプションが書かれていたのだ。これは目の肥えたアートファンや諸々勉強や試行錯誤を重ねてきた美術関連の仕事人は、中学の頃の日記を音読される様な居た堪れなさに苛まれるだろう。
視覚的洗練と軽さは計算済みで、鑑賞者を巻き込み現象化する、アイロニックでクールな大人の戦略的なプロジェクト、というスタンスではなくて、本人は現代アートしてる気分に酔っちゃったお子様で、周りの大人のビジネスパーソン達がお膳立てして下駄を履かせた、と見えてしまう、実際はどうあれ。
箔付のために美術館で現代アートの美術展として開催するのではなく、イベントスペースでアート系イベントとして展開していれば、客層もストレートで、余計な酷評もなく、賛美されていたろうに。
尚、オンラインで拡散を狙ったからこそ、オンラインで疑似体験が出来る催しとなったことには、面白さを感じるが。(少し前にオンライン上で炎上した「美術館女子(という広告の)問題」の舞台も東京都現代美術館だったが、その「美術館女子」をターゲットにしたのは、コンテクストの上書きか。
ユージーン・スタジオ展は、今後アート関連トークの中で、身も蓋もない言い方をすれば、玄人好みと素人ウケの『リトマス試験紙』のようなものとなってしまったと思うのだ。
(C)夜の魚
0コメント